広報くき 埼玉県久喜市発行(転載:すまいの相談窓口info)

栗橋宿 利根川のほとりで育まれた歴史③

広報くき 2023年4月号に掲載された、久喜市栗橋地区の宿場町の歴史を4回に渡って転載します。
今回は第3回目、栗橋にあった栗橋関所についての読み物です。


前回のお話
・利根川のほとりで育まれた歴史 栗橋宿①(宿場町「栗橋宿」の風景)
・利根川のほとりで育まれた歴史 栗橋宿②(発掘調査と宿場風景、日光街道)

栗橋宿 利根川のほとりで育まれた歴史③

日光街道唯一の関所と房川(ぼうせん)流し

栗橋関所(正式名称:房川渡中田関所 ぼうせんわたしなかだせきしょ)の成立は、寛永元年(1624)、4人の番士が幕府から任命され、同年に関所の建物が新築されたことによるとされています。

関所番士は2人1組で午前6時ごろから午後4時ごろまで旅人の通行の取締りを行い、緊急時には例外的に夜間通行を認めていました。庶民の男性は、不審な点がなければ通行は容易であったことが知られていますが、武器類や女性の通行については、関所通行のための許可書である手形が厳重に調べられました。

また、当時、河川は軍事的にも通行上大きな障壁であったことから、江戸幕府は橋を架けさせなかったとされ、利根川においてもそれは同様でした。そのため、利根川を挟んで対岸の中田宿までは渡し舟が往来し、これを「房川渡し」と呼びました。江戸周囲の五街道に置かれた関所は特に厳重に取り締まられましたが、その中でも栗橋宿は、関所と渡船場の二重の関門であった点に特徴があります。

慶応4年(1868)、新政府は全国の街道に関所などの設置を禁止する法令を出し、明治2年(1869)、関所は廃止となりました。栗橋関所のあった位置は、現在は利根川河川敷となっており、その痕跡を見ることはできませんが、利根川橋のやや上流部付近と考えられています。大正13年(1924)に地元の人たちによって「栗橋関所址(あと)」碑が建てられました。この碑が目標物となって、現在、「栗橋関跡」として県の旧跡に指定されています。

出典

出典:広報くき 令和5年4月号

リンク:
https://www.city.kuki.lg.jp/shisei/koho/kuki/kohokuki_r05/koho202304.files/01-32.pdf

まとめ

栗橋の関所について、詳しい解説をお届けしました。
栗橋の風景は「日光道中栗橋」という浮世絵でも見ることができます。これは東海道五拾三次で有名な歌川広重が、日光街道をテーマに描いた作品群の一枚で、利根川とともにある栗橋の風景が描かれています。松尾芭蕉も栗橋で一句詠んでいまして、こちらは次回のお楽しみに。
次回・最終回は関所についての”こぼれ話”や栗橋周辺の史跡をご紹介します。

久喜市観光ボランティアガイド

久喜市では「久喜市観光ボランティアガイド」という取組みが行われています。栗橋宿の史跡巡りをはじめ、市内の自然、歴史、史跡、文化等を、地元ガイドが無料で紹介するイベントです。
久喜の住民からの生の声が聞ける、貴重な体験ですね。久喜市在住の方にも新しい発見がありそう!

▽久喜市観光ボランティアガイド 紹介HP
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/kanko_tokusan/guide/boranteia.html

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